「先生の万年筆がないって?」
僕はびっくりして、イチゴ牛乳の紙パックを落としそうになった。
「そうらしいのよ。落としたらしいって、悲しんでいるのよ。大学の卒業祝いに恩師からもらったって、いつも言っていたあのペンよ」
ツインテールのククは麦茶を飲みながら、深刻そうな表情をする。
窓からは夕日が差している。時計の針も帰りなさいと言っている。実際、いい加減に帰りたいけど、ククの話を聞かないと、ちょっと今は難しい。おしゃべりな彼女の言葉を聞かないで帰るというのは、死に直結する可能性が高い。
「それはそれは! なんとかして見つけ出さないと、先生が可哀想だねえ!」
「エクス!」
僕とククは同時に彼の名前を呼んだ。
エクスは本人は似合っていると思い込んでいるだろうツーブロックをなびかせ、笑顔でやってきた。
「エクス。柄にもないこと言うんじゃないわよ。あんたに可哀想という言葉は似合わないわ」
「なにを! クク! お前、まさか! 相手が悲しいっていう感情を理解出来るの?」
「何を言っているのかしら? あなたよりは理解しているわ!」
ああ、またはじまった。二人は口を開けば、ケンカを始める。ここまできたら形式美としか言いようがない。
「まあ、まあ。二人とも落ち着いて」
僕は二人の仲裁に入る。しかし、
「レオンは黙ってて!」
二人同時に同じ事を言った。仲が良いんだか、悪いんだか。
エクスとククは学年で一位二位を争うほどの優秀な成績を収めている。ライバルといっても過言ではない関係である。
だからこそ、仲が悪い。
お互いがいなければ、自分が圧倒的一位なわけだから。気に食わないのも当然だろう。
いつもこの二人の仲裁に入るのは、僕の仕事だ。僕はそこまで成績は良くないけど、二人の考えることは、なんとなく分かる。というのも、きっかけは全く違うのだけど、僕は二人の共通の幼馴染みだからだ。
エクスとは同じ幼稚園だった。
ククとは同じ図書館で一緒に本を読んでいた。
まさか、三人バラバラの小学校で、同じ中学に入ると思ってなかった。
最初は、僕がきっかけで、頭の良い二人は仲良くなれるかなあとか思っていた。でも、現実はそう甘くはない。賢すぎる二人は、出会うたびに、口撃しあう、学校中の悩みの種となった。
この二人は賢い。注意する先生までを、二人は論破するため、みんな、仲直りさせるのに匙をなげた。
で、その役割をすべて、僕にほうりなげた。大人ってつくづく無責任な存在である。
「ちょっと、レオン? あなたはどう思うの?」
突然、ククから話を振られた。しまった。全く話を聞いてない。
「もしかして、レオン。高尚な話しすぎて、ついていけなかったとか?」
僕に対しては悪気はないのは分かっているけど、エクスは煽るような言い方をよくする。今回もそれだ。ムカつくが、
「ああ、ごめんごめん。聞いてなかった」
僕は寝癖で跳ねた金髪をかく。
「全く! のんびり屋なんだから。簡単にまとめると、なんとエクスは先生の万年筆を探すって言い出したのよ! 探偵気取りのようね!」
ククは高らかに笑った。明らかに小馬鹿にした笑い方だ。
「何だと? 困っている人を助けるのが人ってものだろう! この人でなし!」
「なんとでも言いなさい。先生のドジに付き合っている暇なんてあったら、勉強をして、あんたを追い抜くわ」
笑いながらククは教室を出た。
「ふう。うるさいヤツがやっと帰ったな。んじゃ、行くよ」
エクスは僕の腕を握り、立たせる。
「え、どこへ?」
「決まっているじゃないか、レオン。先生の万年筆を探すんだよ」
☆
何故か僕は、エクスの万年筆探しに参加することになっていた。
窓から見える瑠璃色の空を眺めながら、帰り損ねた、仲裁なんてするもんじゃない、って、自分のドンクサさを恨む。
「僕の見立てでは、先生がよく行く理科室に落ちていると思うんだ」
「でも、理科室って鍵が閉まっているはずだろう? 開くはずがないじゃあないか」
「ふふん。僕がただの天才だと思っていたりするの?」
エクスはポケットから鍵と小石を取り出す。
「え、これ、理科室の鍵なのか? 盗んだの?」
驚きのあまり、僕は素っ頓狂な声で叫ぶ。
「シッ! 声が大きい! これは僕んちの鍵だよ。鍵って開けるのは簡単なんだ。まあ、開けるというか、半分壊すに近いんだけど」
エクスは理科室の鍵穴に鍵を差し込み、回した。そして、なんとその頭を小石で思い切り叩いたのだ!
「上手くいったかな」
ドアを開けるエクスは、満足げに、
「うん。上手くいくもんだな」
と笑った。
仕組みを聞きたかったが、犯罪の片棒を担ぐのは嫌なので、あえて聞かなかった。
教壇から机の下、果ては、ガラス越しから薬剤置き場まで探したが、万年筆らしいペンは見つからなかった。
「はあ。そんなに上手くいかないか」
エクスは溜息をつく。
「まあ、毎回満点よりは、やる気がでるんじゃないの?」
僕は茶化す。
「レオンも良いことを言うじゃないか! そうだな。毎回満点なんて取ったら、向上心なんて起きないよな!」
はっはっは! と上機嫌に笑うエクスに、僕は単純な彼に呆れていた。
突然、女の子の絶叫が聞こえてきた。
「何事だ?」
エクスは走り出した。
あーあ。また悪い癖がでやがった。
エクスはやや英雄症候群的な傾向がある。つまり、自己顕示欲が強いのだ。人を助け、ヒーローになりたがる。今回の万年筆探しもこの英雄症候群の発作だ。
昇降口で立ち止まったエクスは、舌打ちをした。へたり込む女の子に対して、
「勉強しに帰ったんじゃないの? ずっこけて、間抜けにも程があるな!」
イヤミなことを言い放つ。
「あたしだって、先生が心配なのよ。いったん帰って、準備してから来たのよ。万年筆ぐらい探すわ」
女の子はククだった。
ククは、あのあと昇降口やすべての廊下、鍵の開いているすべての教室を見回ったそうだ。もちろん手がかりナシ。
「役立たず」
エクスはククを貶すが、
「んじゃ、あんたはどこを探したのよ?」
という言葉に、エクスは反論できなかった。そら、そうだ。理科室の鍵を壊しましたなんて、普通は言えない。
窓を見ると、外はもうすでに真っ暗になっていた。
「まるで肝試しになっているわね。まあ、楽しみましょ」
ククは歩き始めた。
「お気楽な女!」
エクスは溜息をつくと、彼女の後ろを追った。
僕らは校庭に出た。正確には、校庭にある倉庫に向かった。
倉庫に万年筆なんて持って行くはずがないって僕は主張したのだけど、あり得ないって場所にあり得るのが、捜し物だと、二人とも主張するので、僕は仕方なしに着いていくことにした。
倉庫は開かない。鍵がかかっているようだ。
鍵穴の上には小窓がある。暗い倉庫に明かりを入れるためのものだ。しかし、小さすぎて、とてもじゃないが、女の子のククですら入る大きさはない。それは新聞受けに彼女を押し込むようなものだ。
「また壊す?」
僕はエクスに耳打ちする。
「いや、ククに弱みを握られるのはイヤだし、あと、さっきの鍵、石で曲がっている可能性があるから、開くかどうか分からない」
冷静にエクスは分析する。
「ちょっと任せて」
突然、ククが肩掛け鞄を探った。
「何をしようとするの?」
「ん……。簡単簡単」
彼女が取り出したのはマグネット付きの針金だった。先端は輪になっている。
「まさか、サムターンでも回そうって!」
青ざめるエクスにククは平気な顔で、小窓の中に輪になったマグネット付きの針金をいれ、カッチャカッチャいじりはじめた。エクスは青ざめている。キミ、さっき、鍵を壊したくせに、何を今更。
カチッと音がした。
針金を小窓から取り出すと、
「はあ、先輩が割っててくれて良かった」
満面の笑みで、針金を丸めて、マグネットとともに鞄にしまった。何かあって、いつもならガラスがあるはずの小窓が割れているってことをどうして知っているのか、聞きたいのはやまやまだけど、怖くて聞けない。聞かない方がいいことがあるのは、流石に十四年生きていればわかる。マジで聞かないでおこう。
天才過ぎて、二人の倫理観がどうやらおかしいことに、やっとこさ気がついたが、もう後の祭り。巻き込まれて逮捕されないようにはしておこう。
「臭いわね」
ククの言うとおり、確かに倉庫は臭かった。何年も蓄積された汗の匂いが一気に襲いかかってくる。
「さっさと探して、ここからおさらばしましょ」
鞄から大きな赤い懐中電灯を取り出し、明かりをつけた。
「あんたらも、携帯持っているでしょ。明かりをつけなさいよ」
不満げに命令するククに、
「分かっているさ!」
エクスは携帯を取り出した。
僕も携帯を取り出すと、明かりをつけ、グラウンドをならすトンボや白線を引くヤツとかベースやらが雑に置かれているところを探す。
しかし、見つかるはずもなく……。
「やっぱり見つかるはずがないじゃないか!」
僕ははじめて二人に不満をぶつけ、校庭に出た。
外の新鮮な空気を思い切り吸って吐く。
「レオン。巻き込んでごめんなさい!」
振り返ると、エクスは頭を下げていた。
「こっちもごめんなさい。巻き込んでいるつもりはなくて……」
ククも頭を下げる。
「とにかく、僕は帰るからね? あとは二人でどうにかしてよ!」
怒り心頭の僕は、校門に向かった。
校門をくぐろうとしたそのときだった。
「教師ってコンピュータまで置いて帰るのか。しかもロックもかけずに。不用心だな」
低い男性の声が聞こえた。
「そうだな。この前は金ぴかの万年筆まで置いて帰っていたし、この学校はザルすぎるぜ。防犯の授業にも行ってやろうかな」
もう一人の男性の声も聞こえた。下品な笑い声も聞こえる。
誰かいる! 先生は万年筆を落としたのではない! こいつらに盗まれたのだ!
僕の背中は凍り付いた。逃げたくても無理だ。足が全く動いてくれない。氷で足が固まっているように感じる。
「どこからか、吐息が聞こえないか?」
「そんなバカな! こんな時間に学校にいるのは肝試ししているガキぐらいなもんだぜ」
一人の男は校門を覗き込んだ。僕と目が合う。
僕は絶叫した。身体全体から力が抜け、そのまま座り込んだ。
「ほう。肝試ししているヤツがいたようだぜ」
「なら、こいつも連れて帰ろうぜ。身代金もらえるかもしれないし、拒否されたら、結構小柄で可愛い顔しているから、売れるかもな」
もう一人の男はかなりの大柄だったので、僕を軽々と持ち上げられた。肩に担がれる。
「離して!」
一応、抵抗するが、
「良い子じゃない子はこうなるんだ」
二人の男は下品に笑う。
僕は後悔した。二人に対して巻き込んだ怒りと一人で帰ろうとした申し訳なさがぐるぐる渦巻いていた。
「うぎゃっ」
僕を担いでない方の男が、カエルを潰したような声を出し、倒れ込んだ。彼の頭にはバラバラになった人体模型が落ちていた。暗いため、内臓が妙にリアルに見えて、心臓に悪い。
僕を抱えている男は、本物の死体に見えたのだろう。大声で叫び、僕を思いきり投げ飛ばした。校門に身体が当たる。僕の身体もバラバラになった気がするが、一応、身体はくっついているし、動くので、生きているのだろう。
「だあああああっ」
叫び声とともに、僕を抱えていた男の頭上にトンボの角が当たった。トンボに血がつく。そして男は倒れ込んだ。
「だあっ。だあっ」
ククは何度も男をトンボで叩く。
「ちょっと、クク! 死んじゃう死んじゃう!」
僕は全身の痛みをこらえながら、ククを立ち上がり止める。我に返ったらしいククは、深呼吸して、
「そうね。こんなに血がつくなんて、やり過ぎちゃったわ」
月明かりに照らされた男の服は真っ赤に染まっていた。トンボも真っ赤だ。
「生きてるといいね……」
僕はそれしか言えなかった。
「二人とも大丈夫?」
エクスは走ってやってきた。
「エクス、遅いわよ。ちゃんと通報した?」
ククはムスッとした表情でエクスを見る。
「もちろんさ。っていうか、屋上に人体模型を抱えてあがって、男をめがけて投げるなんて、考えた僕がバカだったよ。成功して良かったけどさあ」
エクスは膝に手を当て、ぜいぜいと喘ぐ。
複数のサイレンが聞こえてきた。
「助かった……?」
僕は再びへたり込んだ。
相当怒られた。当然である。
ただ、明るく調子の良い先生には、よくやったな、勇気あるな、って笑ってくれた。ただ、命があっての物種。死ぬ直前だったんだぞ、ともちろん怒られた。
そして万年筆もコンピュータも帰ってきたそうだ。
僕の絶叫を聞いた二人は僕の姿と犯人二人を確認したあと、どういうコンビネーションかわからないが、エクスが理科室の人体模型を屋上から落とし、その隙をついて、ククがトンボでたこなぐりをするという計画を、二人同時に思いついたそうだ。そして、それを実行し、成功した。
本人達はここまで上手くいくとは思わなかったけど、と真剣に答えていた。
次のテストでは、ククが満点で、エクスが四百九十八点だった。
エクスの点が二点足らなかったのは、理科の凡ミスだった。
「人体模型の呪いね」
ククはエクスを嘲笑う。
「そっちだって、トンボを血塗れにしたじゃないか! 野球部ブチ切れてたの、知らないのか!」
エクスも負けじと反論する。
エクスとククのおかげで僕は助かった。
感謝している。二人は僕の命の恩人だ。
そして、今回のことではっきりと分かった。
今の二人は完全に同族嫌悪だ。お互いがあまりに自分と似過ぎてて、どこか怖いから、避けさせるために憎まれ口を叩いているのだろう。ただ、仲良くなれば、絶対、「最強の二人」……どのような最強になるかは、二人の倫理観次第だが、きっとどこかの分野で最強になれるはず。
「人体模型の呪いを、オカルト部に解いてもらったら?」
「なにを! そんな非科学的な!」
ただ……。今の二人の会話を聞いている限りは、まだそれは遠いだろうな、と、二人を生暖かい目で見ていた。